友衿着物教室について

かしこく、たのしく、うつくしく。

母方の祖母が和裁教室を開いていたことから私の母はお着物がとても身近な存在にあったそうです。ハレの日などの場面ではお着物姿の母をよく見てきました。母の影響で、私自身も子供の頃からタンスの中に仕舞ってあるお着物を時々取り出しては眺めたりするのが楽しみの一つであったり、特別な日はお着物の装うことがありました。

お着物を羽織ったときの特別な感覚や、眺めるだけでも嬉しいような満足するような感覚がお着物には在ると子供ながら感じていたように思います。子供の頃から着物に触れる機会は比較的多かった様に思います。

私が本格的にお着物の世界に足を踏み入れ始めたのは、結婚してからになります。義母が着物や茶道・華道に造詣が深かったことから、一緒にお着物を中心とした事柄を始めてみようということになったのが最初です。 私もお着物への想いが少なからずあったので、自然と「友衿」をスタートできたように感じています。

友衿をスタートさせたことで「お着物を楽しみたい」「もっとお着物の世界を知りたい」との想いが強くなり、着物のあれこれを教わり始めました。はじめの頃は、「まだ着付けもおぼつかないのに、たくさんの装いのルールも気にしながら着物や帯を選んでいかなければならないなんて、とっても大変。」と思ったものでした。学生時代には母から教わり浴衣の着付け位ならなんとか出来る自負があったのですが、やはり非常に多くのルールがあるなと、改めて実感させられました。

しかしルールを何度も意識しながら、お着物を装う回数を重ねていくにつれ、私自身に意識・感覚の変化がありました。例えば、季節の移ろいをより敏感に感じるような感覚の変化であったり、人や場面への配慮・気配りの大切さをこれまで以上に意識するような・・・そのような自分の中の世界が変化していくような不思議な感覚を経験しました。

着ていく場面を意識しながら、同時にふさわしい装いや振る舞いとは何なのかということを考えていくと”その場面で求められる事柄に思いを巡らせること””その場に合ったお着物のコーディネートを考えること”それ自体が、その人の心の育みであり、感性が豊かになっていくような瞬間であると感じるようになりました。

装いのルールを一つ一つ覚えていくことにどんな意味があるのか、このような経験を通して少しづつ理解できるようになりました。人への礼節を重んじながら、その場に合った所作・振舞を求められることの必要性も少しづつ体感で理解できるようになりました。

装いのルールを心から美しく装えるようになる為の理に適ったものであると認識出来るようになると、そのルールを知ること自体が意味のあるものとして捉えられるようになり、お着物を装うことの豊かさに触れられたような気がしてきます。

さらに「お着物を装うことは本物の美に触れる体験である」ということからも言えると思います。着物は日本の美術工芸品の一つであり、幾年もの時を経て現存する日本美を表現する文化の一つです。こういったものを装う機会そのものが、感性を豊かにする体験なのです。このような観点からますと、例えば「成人式」を振袖でお祝いするという文化は日本女性が本物に触れられる贅沢な機会なのだなと改めて感じさせられます。

装いのルールを知り、本物に触れる・・・その中で育まれ豊かになっていく感性の変化の瞬間をお着物の装いによって体験できます。それが醍醐味であるように思います。着付けを覚える、着物を着て楽しむ・・・という過程の先にある「その人の感性が着物の世界に触れることで出来る体験」をしてもらいたいと思い、その為にお手伝いできることを友衿で実現していきたいと考えています。

かしこく、たのしく、うつくしく。


この言葉には、かしこく、たのしくお着物の世界を知り・体験していってほしい。そして、その過程の中で育まれていった感性がその人の魅力としてお着物の装いにうつくしく反映されていって欲しい、という想いから作成した友衿のコンセプトになります。友衿を通してお着物を装う日以外の日常の様々な場面においても、その人自身がもっと魅力的になるお手伝いができれば、それが私たちの喜びにつながります。